東京遷都のため沈みきった京都に活力を呼び戻した「琵琶湖疏水」
琵琶湖疎水の位置
(図をクリックするともう少し詳しい図面が見られます)
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平成大修理を終えた,宇治平等院阿弥陀如来坐像天蓋が展示室で間近に見られるというので出かける事にした。
ついでに,琵琶湖疏水の取り入れ口と出口を駆け足見学した。
朝8時過ぎの新幹線で京都へ,湖西線で「西大津」へ,京阪坂本石山線に乗り換え二つ目「三井寺」に到着したのが11時過ぎ。駅の直ぐ脇を,琵琶湖疏水の水路が走っている。先ずは上流側琵琶湖からの取り入れ口,そして,下流側の第一トンネル入り口方向へと歩を進める。
琵琶湖疏水は,第3代京都府知事となった北垣国道が,明治維新による東京遷都のため沈みきった京都に活力を呼び戻すため,疏水の水力で新しい工場を興し,舟で物資の行き来を盛んにしようと計画した我が国最初の大土木事業であり,歴史的変遷に伴い利水の用途に変更があったものの今日においても京都市民の上水道の水源や水力発電ほか多目的利用がなされている。
当時,我が国の大きな工事はすべて外国人技師の設計監督に委ねていた時代にあって,日本人の手によって設計から施工まですべてを行った最初の近代的土木事業であり,明治期における日本の土木技術水準の到達点を示す近代遺産として,平成8年6月に12箇所の施設が国の史跡に指定されている。
明治18(1885)年に着工,5年後の明治23(1890)年に完成した。明治30年代に入ると第一疏水だけでは電力需要等の増大に対応できなくなりまた,地下水に頼っていた市民の飲料水が質・量ともに問題となってきたこともあり,京都市の三大事業(第二疏水事業,水道事業,市電開通及び幹線道路拡幅)が計画され,その中核として第二疏水が明治41(1908)年10月に着工され,明治45(1912)年3月に完成した。第一疏水と第二疎水は蹴上で合流している。
東京の工部大学校在学中に卒業論文として,このとてつもない規模の計画をつくり,北垣国道に乞われて工事を担当したのが,第一疏水完成時若干28歳の青年技師田邉朔郎である。当時,その技術力の高さにイギリス土木学会の名誉ある『テルフォード賞』を受賞したという。
「琵琶湖取入口」
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第一疏水取入れ口
(琵琶湖西岸を走る国道161号新三保ケ崎橋から)
中央右の建物は,揚水機場(大津市あるいは旧水資源公団のものか?)
当地点より50mほど北側に第二疏水の取水トンネルがある。
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京阪坂本ー石山線と交差する第一疏水水路 |
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水路途中にあるゲート
北国橋際にあるゲート。現在,左側のゲートを閉じて水流を右側に導き,ゴミなどを取り除き導流している。石垣の状況からゴミ除去用水路は後で造られたものと思われる。 |
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鹿関橋から第一トンネル坑門を望む
両岸は桜並木。
写真を撮っていると,通りかかった地元の方が,「もう少し早く来れば素晴らしい桜が見られますよ!ライトアップもされて,この橋の上は,カメラを構えた人たちで大賑わいでした。」と話しかけてきた。 |
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第一トンネル西口坑門
第1トンネル(長等山「ながらやま」トンネルとも云う)は長さが2,436メートル。
わが国で初めて竪坑からの掘削も採用された。中間に二本の竪坑(第一シャフト深さ47m,第二シャフト深さ約30m)を掘り,左右に掘り進めるとともに、トンネルの入口と出口からもシャフトに向け掘り進めるという方法である。多量の湧水などもあり第一シャフトを掘るだけでも196日間,貫通までに4年近くの歳月を要し犠牲者も17名を数えたという難工事であった。
坑門は,上部がペディメントで飾られローマ神殿風の当時としてはかなりモダーンな意匠で,伊藤博文の筆になる「気象萬干」という文字が刻み込まれている。 |
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園城寺大門(仁王門)
(明治33.4 国指定文化財 国宝)
疏水の東側の見学を終えて直ぐ近くの三井寺を訪れる。時間的余裕が無いので仁王門だけ見学。
室町時代中期,桧皮葺の入母屋造りの屋根が柔らかい感じを醸しだし,均整の取れた美しい姿に眺めいってしばし休憩する。 |
「インクラインー水路閣ー第三トンネル出口ほか」
午後1時を少しまわった頃,「三井寺」発,「浜大津」で京阪京津線に乗り換え「山科」&「御陵」経由の京都地下鉄東西線直通電車で「三條京阪」着。京阪本線に乗り換え「五条」で下車。
麩の老舗「半兵衛」で,昼食を摂る。
3時過ぎ,お腹を満たして,「五条」~「京阪三條」~地下鉄「蹴上」へ。
後半は,疏水の出口 蹴上一帯にある施設群をを巡ることとする。
先ず,「インクライン」の中間点付近から下り「南禅寺船溜」&「疏水記念館」を見学して,南禅寺内にある「水路閣」へ。次に「第一・第二疏水の合流点」~「第一疏水第三トンネル出口」,帰りがけに道路を挟んだ向こう側にある「蹴上浄水場」,「蹴上発電所」を遠望し,「ねじりまんぽ」をくぐって,「蹴上」駅から地下鉄東西線で「市役所前」下車,鴨川荒神橋近くの鴨川沿いの宿へ向かう。
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インクライン
インクラインとは,琵琶湖疏水の第三トンネル西口の”蹴上舟溜”から”南禅寺舟溜”までをつないでいる傾斜鉄道。
琵琶湖疏水は,交通・運輸の便を目的として造られたもので,大津から米穀・炭・油など市民生活に欠かせない数々の物資が,京都からは清水焼や織物などの特産品が運ばれていた。
大津を出発した船は,トンネルを抜け,”蹴上舟溜”に着くと,ここから”南禅寺舟溜”までの距離は約580m,勾配が15分の1(落差が36メートル)もあるため,舟ごと台車に載せて上下させる為に造られたのがインクライン(ケーブルカーみたいなもの)である。1891(明治24)年運転開始。
最盛期には,旅客13万人/年,貨物22万3千トン/年・一日約150隻と大層な賑わいを見せたが,国鉄山科駅開設・京津,京阪電車開通により京津間の足としての機能が失われ,貨物も1951(昭和26)年9月に砂を運んだ30石舟を最後に疏水舟運60年の歴史を終えた。
春には桜の名所となるという。 |
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南禅寺水路閣
水路閣は,疏水事業の一環としての松ヶ崎浄水場方面への疏水分線として施工された延長93.17m,幅4.06m,水路幅2.42m,煉瓦造アーチ構造の優れたデザインの水路橋。毎秒2tの水が流れている。
明治18年起工,23年竣工。
南禅寺の中に水路を通すには,かなりやかましい論議があったと思われるが,120余年経った現在,周囲の景観に違和感無く溶け込んで貴重な京都の文化財となっている。
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田邉朔郎像
琵琶湖疏水の設計者・工事主任。
文久元年(1861)江戸で生まれる。父は幕臣。明治10年(1877)工部大学校(現,東京大学)入学。卒業論文で「琵琶湖疏水工事計画」を執筆。
卒業と同時に京都府知事北垣国道に招かれ,琵琶湖疏水の工事主任となった。
疏水工事は明治18年着工。同23年に完成。大津-京都間に舟運を開くとともに,蹴上発電所を建設し我が国水力発電事業の先駆となった。この電力により、京都西陣機業の機械化や日本最初の路面電車の運行が実現した。
その後、東京・京都の帝国大学教授を歴任。昭和19年(1944),84歳で没。
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蹴上発電所への鉄管路
1981年(明治24)我が国最初の商業用水力発電所 蹴上発電所が完成する。電力は、紡績や伸銅・たばこなどの新しい産業に主に供給された。当初は,京都市営であったが現在は関西電力の発電所である。
第一期(着工:明治23,竣工:明治24)
第二期(着工:明治43,竣工:明治45)
第三期(着工:昭和07,竣工:昭和11)
合計出力 5,700kw
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インクラインの台車
”蹴上舟溜”に展示保存されている。
昭和26年から使われなくなっている割には,よい保存状態である。
斜路の中間に展示保存されているもう一台の台車とペアでケーブルカーの如く上り下りして活躍した様子が眼に浮かぶ。 |
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第一疏水第三トンネル出口
これまた芸術的な坑門である。
直ぐ右手に赤レンガ造りの瀟洒な蹴上浄水場のポンプ室がある。 |
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ねじりまんぽ
地下鉄東西線「蹴上」駅と「南禅寺金地院」方面への近道にあるインクライン下をくぐるトンネル。
「ねじりまんぽ」とは,煉瓦をねじって積んで造ったアーチ構造のこと,インクラインとその下をくぐるトンネルが直角に交わっていないために,下から少しずつ斜めにずらして煉瓦を積んでいきトンネル最上部でインクラインと煉瓦が直交するようにして上からの重さを支える工法である。
アーチは上からの過重に強い構造だが,斜めに交差するトンネルの場合はアーチが一番強い方向に過重がかからない。
一番強い過重を垂直方向に受け止める様に煉瓦を斜めというか螺旋状に積み上げている。
トンネル内部から見るとレンガが渦を巻く様にねじれて見えることから「ねじれ」,「まんぽ」とは,元々東海地方の方言で線路の下をくぐるトンネル状の通路を言うことから「ねじれまんぽ「」と呼ばれる。
国内に現存が確認されている「ねじりまんぽ」は25箇所ほど,ここ以外はすべて鉄道関係の構造物だという。
出入り口頭部には,第三代京都府知事北坦国道の著した「雄観奇想」と「陽気発處」の銘版が掲げられている。
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翌日は,宇治平等院を見学し,広島へ向かう。
今回の旅程:
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5月31日 |
東京→京都→西大津,皇子山→三井寺(琵琶湖疏水&三井寺)→浜大津→京阪三條→五条(半兵衛麩で昼食)→京阪三條→蹴上(琵琶湖疏水記念館&水路閣&インクライン&第三トンネルほか)→京都市役所 |
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6月01日 |
丸田町→中書島→京阪宇治(平等院&上林茶店)→京阪四条(錦市場,まるやたで穴子寿司昼食,丸常,麩嘉,京ゆば千丸屋,イノダコーヒーで休憩)→烏丸御池→京都→広島 |
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6月02日 |
岩国「錦帯橋」 |
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6月03日 |
孫娘の運動会観戦 広島→東京 |
盛りだくさんな内容をこなした3泊4日の有意義な小旅行であった。
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